8月6日(金) 雨。夕方晴れる。 平ガ岳南尾根の湿原帯まで


site2 610(1P)710 大白沢山 720(1.5P)845 1911m分岐 855(3P)1210 白沢山 1220(1P)1350 平ガ岳南尾根1950m湿原 site3


朝もやの大白沢池

(101k) (13k) 今日の意気込み

 朝もやの大白沢池を眺めながらゆっくり朝食をとる。味噌汁の笹の芽がコリコリしてうまかった。二度と訪れることもないであろう桃源郷に名残を惜しみつつ、稜線への急登を登り返す。池に流れ下る小さな沢を遡って、20分で大白沢山の北西のコルに着いてしまった。ここでザックをデポして、大白沢山をサブする。大白沢山の西面は急峻な岩峰で、岩を巻くようにしてかすかな踏み跡をたどっていった。頂上は腰から腹くらいの高さのヤブが茂っていた。過去に登頂したクラブの残していったプレートが幾つか打ちつけられてあったが、年代を見るとみな古い。横浜国大WV、1942年、なんていうのもあって須藤と顔を見合わせた。戦争中だぜ?!。それは極端にしても、80年代以降の登頂者はいないようだ。それとも80年代以降は登山者のマナーが向上して、無粋なプレートなんか打ちつける習慣がすたれたのだろうか。某大学WV部の青いプレートなんかは東日本ありとあらゆるイモ山の頂上に打ちつけられて真実うるさく、やめてほしいと願うものであるが、この大白沢山くらい深く寂しい山頂で年代もののプレートに出会うのは悪い気はしない。ひとのこころのしみじみと、懐かし嬉し、小暗き峰を、なんてメロディーを口ずさんでしまうのだ。

 大白沢山の下りは足場が悪く、注意を要する。登って来たルートを忠実にたどって行こう、と声をかけたのに、冒険家の逸見がモロに岩のルートを行こうとする。補助ザイルを出して行きましょう、なんて言い出したのを、アホか、と軽くいなして、登ってきた巻き道を探す。すぐに巻き道が見つかって、そちらを下る。この巻き道だって、今日みたいに空身でなかったらかなりの緊張を要するところだ。なにしろ山が深い。ここでケガをしたら、気が遠くなるほど過酷なエスケープを強いられるのである。OB山行だから隊の雰囲気はのん気そのものだけれど、安全のための基本動作は確実に行わなければならない。

 コルでザックを回収して、ふたたび雨のヤブを行く。雨具のボロい3人、すなわち、白土、逸見と僕は、タルミのたびにガタガタ震えている。こういう時は食うしかない。ボリボリボリ(食う音)。須藤とはっちゃんは、色違いのおそろい雨具が新品で、うらやましい。

 至仏へ尾根を分ける1911mピークを越えて、進路を北にとる。ここで一つ、事件が起こった。須藤が大事なところを毒虫に刺されたのだ。腫れ方が尋常でないというので拝見させてもらうと、でかい!。....はっちゃんがいるので、この女ごろし!、とはさすがに言えなかったが、とにかく珍坊の竿の中程に、もう一つ金玉が付いたくらいの大きな水膨れができている。さてどうしたものか考えたが、現在地は最深部を越えているし、進むしかあるまい。さいわい須藤の体調その他、問題なく、局部も痛くもかゆくもないそうなので、そのまま進むことにする。本人は初めての事でやっぱり不安だったと思うけれども、僕は昔、京都の、とある山寺の和尚さんから、珍坊を虫に刺されるといかに見事に膨張するか聞かせてもらった経験があったので、何とかなるだろう、ほっときゃしぼむだろう、と考えていた。事実、その後の須藤の体調は全く元気そのもので、翌朝には、午後の朝顔の花のようにしおらしくしぼんでしまったのである。

まず茶を作る それからツェルトを張る

 今日のサイトは、平ガ岳南尾根の1950m湿原の脇にした。白沢山を越えてもまだヤブ漕ぎがキツかったが、だんだん湿原が増えてくる。そしてクライマックスは明日の朝、平ガ岳山頂の一面の湿原である。楽しみだなあ。晩飯のカレーを食った後、みんなで湿原に出て空を仰ぐ。雲が流れる。明日は朝から晴れるかも知れない。8月というのに本州南海に前線が停滞しており、梅雨の気圧配置だ。こうなると小笠原高気圧よりはオホーツク海高気圧の勢力下に入ることを期待するべきである。みんなで、オホーツク応援歌を歌ったり踊ったりした。

晴れろ踊りをする

湿原は晴れてきた

もうせん苔の池塘

 暮れなずむひととき、オカンの準備をしていた僕のところに白土がのっそり現れた。ちょっとだけ呑もうよ、という。この男は酒が好きだ。実は、酔っぱらって失敗することもたまにある。ふふふ。



Last modified: Sat Sep 16 17:19:44 1995
Suto Taku